『〈達者な死に方〉練習帖 賢人たちの養生法に学ぶ』 帯津良一著 文春新書
私たちは、未曾有の高齢化社会に突入しています。お年寄りが無事に過ごせる社会というのは、それはそれでしあわせな社会と言えます。
しかしそれは同時に、私たち一人一人が、生きることだけではなく、最後の日を迎える死に方をどう迎えるかということを意識する社会とも言えます。
織田信長の人生50年の時代から、今や人生80年、90年は当り前の時代であります。しかもその80年、90年の最後は、ひょっとしたら病院のベッドの上で数年過ごす可能性があるのです。寿命と健康寿命の差は、現在10年以上あるといわれていますので、自分がどういった死に方をするかは、もはや他人事ではありません。
著者の帯津良一先生は、長年ガン患者さんと向き合ってきた医師であります。代替療法がこれほど脚光を浴びる前から、積極的にがん治療に漢方や太極拳などを治療に取り入れてきた方。そういった日々の臨床の中から、生きることと死ぬことを見つめてきたのだろうと思いますが、その中で得た確信のようなものを、昔の賢人の話と重ね合わせながら話が進んでいきます。
先ず本書で扱っている貝原益軒は、いわずもしれた『養生訓』の著者。江戸時代を生きた儒家であります。『養生訓』というのは、“養生”つまり、“よく生きるための智慧”のこと。それなのに、本書のタイトルには〈達者な死に方〉とあります。
全く矛盾しています。
しかし帯津良一先生のこのお話を読んでいくと、生きることと死ぬことは同価値であるということ、生きることを知ることは、死ぬことを知ることでである、生と死が相即不離の関係であることがわかります。この世に生を受けることは、宇宙生成の譬えと同じように、まさにビッグバンであることは容易に想像することが出来ます。しかしその逆である死もまたビッグバンであるということは、生と死を見つめてきた著者ならではの視点であり、そしてそれを自分と重ね合わせてみると、ポジティブに死を受け入れることができるように思います。
帯津良一先生は、写真で見るととっても太っています。決して健康そうには見えないわけでありますが、しかしいつもにこにこしているその顔は、とてもしあわせそうであります。本書を読むとそのしあわせに生きる基礎、みたいなものがにじみ渡っています。
帯津良一先生は、決して無理をしてないそうなのです。看護師さんから太りすぎであることを指摘されてもどこ吹く風で、自分のやりたいことやってきたそうです。そういった無理のない生き方こそが、健康の秘訣のようです。
そしてそれは、死に方にも通じるようです。決して抗うのではなく、受け入れる、そしてその最後の時がきたときには、新たな再生のために、死というビッグバンに勢いよく飛び込んでいく、そういった気持ちで晴れ晴れとしていることが、帯津良一先生の笑顔の秘訣のようです。
本書は、“達者な死に方”と書きながら、“養生法”という全く対立するベクトルのものを並べたタイトルですが、向かう先は同じ生命の源に通じています。ちょっと舐めて読み始めたのですが、著者のいわんとしている世界観は、とても奥深いものがあります。
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